“ かつて、高科の教え子で優秀な物理学科の学生だった。団塊の世代はその膨大な人口のため、幼い頃から学校は1学年2桁のクラス数であり、50〜60人学級で教室がすし詰め状態であってもなお教室不足を招くほどであった。汽車を待つ二三時間は速(すぐ)に経(た)つた。始めて汽車の中で出逢(であ)つた時からして、何となく人格の奥床(おくゆか)しい細君とは思つたが、さて打解けて話して見ると、別に御世辞が有るでも無く、左様(さう)かと言つて可厭(いや)に澄まして居るといふ風でも無い--まあ、極(ご)く淡泊(さつぱり)とした、物に拘泥(こうでい)しない気象の女と知れた。風俗(なりふり)なぞには関(かま)はない人で、是(これ)から汽車に乗るといふのに、其程(それほど)身のまはりを取修(とりつくろ)ふでも無い。 ”