“ だが、バクボ(北部)湾の通称である「トンキン湾」は使用されている。 フランスの植民地体制下においては、フランス領インドシナを構成するハノイを中心としたベトナム北部の保護領を指す名称として使用された。 フランス語混成教育機関卒業者が公務員に登用されるようになってゆく。
こうして安南国はインドシナ連邦を構成する一員となるが、フエ朝廷の阮朝皇帝の下でベトナム人官吏が国内行政を担当し、1916年頃までは科挙の試験も実施されていた。 また、ベトナム国内では各地に勤皇運動が発生し、対仏レジスタンスが展開されるが、フエの宮廷を逃れ、山中で勤皇運動を主導していた咸宜帝が1888年、フランス軍に逮捕されたことにより、終息に向かうこととなった。 ”