“ 皇太子に代行させたことはあるが、天皇が兵権を臣下に委ねたことはなかった。子々孫々までこの勅諭を伝え、天子が文武の大権を掌握する原則を守り、再び中世以降のごとき失体がないことを望む。 この慣習は陸士以外の将校および将校候補者の養成学校にも取り入れられ、陸軍経理学校の「若松台」、東京陸軍幼年学校の「健武台」、仙台陸軍幼年学校「三神峯台」、名古屋陸軍幼年学校の「観武台」、大阪陸軍幼年学校の「千代田台」、広島陸軍幼年学校の「鯉城台」、熊本陸軍幼年学校の「清水台」、および満洲帝国陸軍軍官学校の「同徳台」がある。 ”