“ 細君は微笑した。津田はちょっと苦笑した。津田も折々は向うを調戯い返した。津田はまたそれと自覚しながらいつの間(ま)にかそこへ引(ひ)き摺(ず)り込まれた。津田は軽く砂を揚げて来る風を、じっとしてやり過ごす時のように、おとなしくしていた。 その意志は自分と正反対な継子の初心(うぶ)らしい様子を、食卓越(テーブルごし)に眺めた時、ますます強固にされた。同情心が起るというのはつまり金がやりたいという意味なんだから。初めこの勝三郎は学校教育が累(るい)をなし、目に丁字(ていじ)なき儕輩(せいはい)の忌む所となって、杵勝同窓会幹事の一人(いちにん)たる勝久の如きは、前途のために手に汗を握ること数(しばしば)であったが、固(もと)より些(ちと)の学問が技芸を妨げるはずはないので、次第に家元たる声価も定まり、羽翼も成った。 ”