“ 明治3年閏10月10日 1870年 17,222 56,295 居住制限撤廃後、家数は集計不完全、人口は町方人別之者のみ。単一湧出口 - 中ノ沢温泉・因(ちなみ)にいうが、枳園は単独に弟子入をしたのではなくて、同じく十一歳であった、弘前の医官小野道瑛(おのどうえい)の子道秀(どうしゅう)も袂(たもと)を聯(つら)ねて入門した。師が三十八歳、弟子が十歳の時である。文化十一年十二月二十八日、抽斎は始て藩主津軽寧親(やすちか)に謁した。 ”