“ これにより、調布 - 三鷹天文台 - 武蔵境と、調布 - 野崎 - 吉祥寺の2路線を復活させたが、当時の電気バスはバッテリー上がりや坂道での故障など問題が多かったため、進駐軍払い下げ車のGMCアンヒビアンバス(軌陸両用バス)改造車6両を投入。戦時体制に入るにつれて、武蔵野乗合自動車でも戦時輸送が大きな割合を占めていくこととなる。一方、1948年(昭和23年)に東京急行電鉄から分離した小田急電鉄は、大東急離脱時に引き継いだ乗合バス事業が旧小田急電鉄が経営していた相武台線のみであり、また同線はほぼ休止状態となっていて、さらに分離時に傘下に入った神奈川中央乗合自動車の路線網と重複したこともあり、同社に肩代わりさせる形で撤退した。 ”