“ 抽斎と同日に目見をした人には、五年前(ぜん)に共に講師に任ぜられた町医坂上玄丈(さかがみげんじょう)があった。素(もと)より躋寿館に勤仕する医者には、当時奥医師になっていた建部(たけべ)内匠頭(たくみのかみ)政醇(まさあつ)家来辻元崧庵(つじもとしゅうあん)の如く目見(めみえ)の栄に浴する前例はあったが、抽斎に先(さきだ)って伊沢榛軒(しんけん)が目見をした時には、藩主阿部正弘が老中(ろうじゅう)になっているので、薦達(せんたつ)の早きを致したのだとさえ言われた。伊沢榛軒は少しく抽斎に先んじて目見をしたが、阿部家のこれに対する処置には榛軒自己をして喫驚(きっきょう)せしむるものがあった。 ”