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そこへ勝四郎は出向いて来て、勝三郎の木位(もくい)を拝し、綫香(せんこう)を手向(たむ)けた。勝四郎は木位の前を退いて男女の名取に挨拶(あいさつ)した。馬喰町の家では、この日通夜(つうや)のために、亡人(なきひと)の親戚を始(はじめ)として、男女の名取が皆集まっていた。然るにいわゆる芸人に名取の制があって、今なお牢守(ろうしゅ)せられていることには想い及ぶものが鮮(すくな)い。七年忌には金百円、幕一帳(ひとはり)男女名取中、葡萄鼠縮緬幕(ぶどうねずみちりめんまく)女名取中、大額並(ならびに)黒絽夢想袷羽織(くろろむそうあわせばおり)勝久門弟中、十三年忌が三世の七年忌を繰り上げて併(あわ)せ修せられたときには、木魚(もくぎょ)一対(いっつい)墓前花立(はなたて)並綫香立男女名取中、十七年忌には蓮華形皿(れんげがたさら)十三枚男女名取中の寄附があった。