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孟蜀韓保昇云。天保十年十一月告老。霞亭と凹巷とが江戸を離れて下野国(しもつけのくに)に入り、路を転じて東に向つたとき、十月の風が客衣を飜した。霞亭は己卯四十歳にして既に阿部家の禄を食(は)んだ。南部(概ね森山町以南)は肥沃な木曽川河岸段丘群に属し市街地を取り囲むように水田と畑地が広がっている。南伊勢の約100万石を知行した。左れば一家の妻をして其品行を維持せしめんとするには、主人先ず自から其身を正うして家風を美にするに在り。