“ 議会では内閣不信任案が提出された。挙国一致内閣のオール与党だったため、不信任案自体は大差で否決されたものの、戦時の挙国一致内閣で内閣不信任案が提出されること自体が異例であった。 トブルク陥落は、この数か月前のシンガポール陥落と相まって、イギリス国内に強い衝撃を与え、戦時中のチャーチル批判は1942年7月に最も強まった。
1940年12月にはギリシャのイタリア軍救出のためのマリータ作戦を発動し、ついで1941年1月にはゾネンブルーメ作戦を発動してドイツアフリカ軍団がトリポリへ送られるようになり、2月にはその指揮官としてエルヴィン・ ”