“ 一度に上げようとすると『景気が回復していなければ駄目だ』などの政治的な抵抗で先延ばしになったり、不十分な税率のまま終わり、結果として機能しない恐れもある。長丸(秀忠)の存在が注目されたのは、家康と秀吉の講和条件として秀吉の妹である朝日姫(旭姫)を家康に嫁がせることになった時である。同時代の史料では確認できないものの、『三河後風土記』や『武徳編年集成』にはこの時家康が「朝日姫が家康の子を産んでも嫡子とはしないこと」・ ”